妖怪"やさしすぎる"

前回の続き。

私の"やさしすぎる"は幼少期からあったから、もしかしたら先天的に(過去世みたいな?)持っていたものかもしれない。

サンディエゴでみんなが日に日に自分をクリアにしていく中で、自分が何にロックをかけているのかわからなくなって、いずみさんに聞きに行ったことがある。

当時の私は予約が収まり切らず、朝から晩までレッスンしていた。自分が休むと希望の日にレッスンを受けれないクライアントが出てくる。自分かクライアントの希望のどちらかを犠牲にしないと成り立たない生活をしていた。
このパターンで私は自分を犠牲にする。"やさしすぎる"に逃げる。

サンディエゴでマチルダが本物の優しさを身をもって見せてくれた時、「私も強くなりたい」と大泣きした。どちらかが犠牲になるというループした世界から脱出することが1つの課題だった。

しかし、油断すると出てくる妖怪"やさしすぎる"

今回は安篁さんの言葉にハッとした。


家に帰ってノートを開き、自分を観測してみた。やさしすぎる自分の周波数と本来の最高最善の周波数。同じ世界でも見ている周波数が変われば、見えるものも感じるものも違う。

例えば今の私は800ヘルツ(数字はテキトー)で世の中を見ている。800ヘルツの私は自分の人生のハンドルを人に取られないように必死だ。私が主導権を取るか、人に取られるか、だから人からお粗末な扱いをされるとものすごく腹が立つし、常識や正しい、可哀想を押し付けて来る人が近くにいたら、自分が立ち去るか、その人を自分の人生から弾き出したくなる。

しかし、私の本来理想とする世界の周波数は1500ヘルツ(同じく数字はテキトー)だとしたら、1500ヘルツの周波数で生きる私はどんな風だろう?

自分の人生の操縦席にどっしりゆったりと座っているような気がする。私のハンドルを取りに来る者なんていない。そんな人が近寄ってきても、私の周波数でその人さえ本来の自分に還れるような周波数。

そこで生きていたら、誰かを弾き出さなくていいし、いつも自分の本音で存在できるんじゃないかなぁと思った。誰が寄ってきても、そこには美しい変化しかないだろうなぁと思った。

わざわざ人を捕まえてきて説教をしなくても、どちらかが犠牲にならなくても、「私、良かれと思ってこんな親切にしたのにあなた酷くない!?」という謎の拗らせ女も必要ない。

これが、犠牲の世界で存在すると、私はその人が本来の自分に還るチャンスさえ奪うことになる。まさに地獄の負のループ。
やりたくないことをやるというのは、それを本来やる他人様のハンドルを私が奪ったことになる。

それを思い出した途端に目の前が明るくなった。「力強い女神になる」と誓った。30歳@サンディエゴの私。時々ズレる。でもまたこうして戻ってくる。これの繰り返しです。

お花のレッスン同様20年後には1500ヘルツで生きれるようになりたい。